旬みっけ

第1回 私が虫オタクになったわけ

昭和5年、私が3歳のときに3つ上の姉が疫痢で亡くなったんです。私を非常にかわいがってくれた姉でしたので、すっかりしょげて、鬱ですね。とても落ち込んでしまいました。

そんなときに私をなぐさめてくれたのが虫たち。毎日、庭に出ては虫を友としていました。父が鉱山の技術者だった関係で、秋田県の花岡鉱山のあるところに住んでいたので、周りには虫がとても多く、庭に出れば、蝶もトンボもバッタもいたんです。

毎日、虫ばかり眺めている私に、ある日父が岡崎常太郎著の『昆虫七百種』という図鑑を買ってきてくれました。


『昆虫七百種』


『原色甲虫図譜』(平山修次郎)

子ども用の虫の図鑑といったら、当時はこれしかなかった。ものすごくヒットした本です。文字は全部カタカナで書かれていましたが、小学校に入る前ですから、読めないんです。でも読みたい! 両親に教わって、ひらがなより先にカタカナを覚えてしまいました。

毎日毎日食い入るように図鑑を見て、ページをくっていたので、本はぼろぼろ。本にある700種の虫は、実際に見たことがなくても、全部頭の中に入ってしまいました。

虫好きの人には、よく「蝶だけ」「トンボだけ」「セミだけ」という1グループだけのオタクも多いのですが、私は虫ならなんでもかんでも好き。この本で育ったからだと思います。

昆虫採集もよくやりました。岐阜に『名和昆虫研究所』というところがあって、ここから本格的な専門家が使う、展翅板(てんしばん/虫の翅を伸ばして標本にする道具)や昆虫針、標本箱、捕虫網なども、親父が取り寄せてくれました。


展翅板。翅を整えて美しい標本を作る。

それにしても、親父はどうしてこんなに昆虫のことに詳しいんだろう。ずっと不思議に思っていたんですが、つい最近わかりました。遺品を整理していたら、学習院高等科の夏休みに書いた「休暇日誌」なんてものが出てきて、それに「昼寝から覚めて、昆虫採集に行く」と書いてあった。

親父も好きだったんですね。僕にはひとこともそんな話をしたことはありませんでしたが。

知らず知らずのうちに、親父に虫の世界に引きづり込まれていたのかもしれません。

「昆虫学者になる!」といったら、親父はものすごく喜んでいました。

小学校4年生のとき、夏休みの宿題で、蝶やトンボなどを捕って標本にして提出したら、それが秋田県で大きな賞をとった。毎日小学生新聞にも写真が載ったんです。

そんなわけで、ますます昆虫学者にならざるを得なくなった(笑)。

(2009.10.)
*次回は、オサムシの話です。お楽しみに!

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